ウルトラマンメビウス・第32話

ウルトラマンメビウス
第32話「怪獣使いの遺産」脚本:朱川湊人 監督:八木毅

あの「怪獣使いと少年」と直結するエピソードとして注目を浴び、放送後も本当に色々な意見が飛び交ってる本回、当ブログも特別に別枠で扱ってみようと思います。

ウ~ン、そうは言っても正直シンドイと言うか、単刀直入に言えば物凄ぇ“微妙”なんですよね。
原典である「怪獣使いと少年」に鏤められた数々の“ちょっと表立っては言うのは憚れる隠しキーワード”に(これについては私が以前書いた「怪獣使いと少年」の感想をご参照願えれば)ほぼ完全にフィルターがかかっちゃった事は仕方がないとしても、このエピソードの最も“キモ”になる部分までが変えられてしまってる箇所があるのはちょっと残念。
まぁ、そこらも含めて進めて行きたいと思います。

※アバンタイトル
「ウルトラマンメビウス」のタイトルが出るバックのBGMを掻き消すように入るサイレンと工場の音。
あの時代を知る人はピンときた人もいるかもですが、あの音は正に“70年代”の、そして「怪獣使いと少年」を象徴する意味合いで入れたのかと。

※あの人に近付いちゃだめよ
ちょっと成長した良少年、あの時から何年後の姿なのかは判らないけど、あの女の子が成長した姿が園長先生なら、先生を演じた斉藤とも子さんは私と同年代なんで、せいぜい1~2年後と言ったところか?
いずれにせよ、やっぱり円盤を見つけるまで穴掘りをやめる気は無かった模様。
女の子に接する時の彼の態度とかはちょっと爽やかすぎる気はしたのですが、時世的にこんなもんかなとか、あんな目に遭った後で穴掘り続けてる内に何か“悟り”みたいな物でも開いたかなとか、この時点では思ったんですが・・・

少年の噂を信じて少女に近付かない様に嗜める母親と、何故いけないのかと問う少女(園長の幼い頃)は、もしかしてあのパン屋の母娘のメタファー?・・・と、そう単純に見るのはちょっと苦しいけど、そう受け取らないとこの回の感想書くのがこの先更にしんどくなっちゃう(^^;
ただお母さんの場合は、あの状況下では親の立場として娘にそう言わざるを得ない部分ってのもあるだろうし、そこは別の部分での考えどころとも言えます。

※侵入
メイツ星人・ビオがゾアムルチ連れて不法に侵入してきた事に対するトリヤマ補佐官やリュウの反応やそれに対するサコミズ隊長の対応とか、あの辺はむしろ「超兵器R1号」とか「ノンマルトの使者」に近いテイストかな?
あの時一番「怪獣使いと少年」のテイストに近い位置にいるのは実はコノミちゃん。
理由は“有一身近な人達の事を心配してるから”で、原典の「怪獣使い・・・」は、地球とか宇宙とか言うレベルと言うよりは、むしろもっと身近な、すぐ隣、或いは自分自身一個人と言った“地べたの部分”での問題定義だった訳で、だからこそあれだけリアルに胸に迫ったんだと思うんですよね、私は。

※ウルトラマンは地球人の兵器
ミライとビオが対峙するシーンで、ビオがゾアムルチを連れて来た理由がメイツ星人はウルトラマンを地球人の兵器として認識していると言う辺り、これは「怪獣使い・・・」に絡むエピソードとは切り離しても、「ウルトラマン」と言う冠を持つ全ての作品に対して投げかけられた一種のアンチテーゼにも聞こえて興味深いです。
これ、今後の「メビウス」に上手く生かされればいいなぁと思うんですが、ウ~ムどうだろう?(^^;

このビオの理念やGUYSの対応に対し、アジアの某国や現在の世界情勢をダブらせてる、言ってみれば原典の“アレ”や“ソレ”に代わるものだと評する感想や個人ブログを幾つか見かけましたが・・・ウ~ムちょっとそれはどうかな?(確かにそう思えるけれどね(^^;)
仮にそうだとしても、今ここでそこを論点にしちゃうと却ってこの回が見えなくなると思うし、その原典の“アレ”や“ソレ”にしたって何十年後になって漸く当時のスタッフから明かされた訳で、隠しワードと言う意味ではそうかも知れないけども決してそれをメインに語ろうとしてる訳じゃない。
ちょっとここは一歩退いて見た方が賢明かと・・・

※35年前の悲劇
ビオの口から語られる“あの出来事”
ただ、ここで引っ掛かったのがこの新撮の回想シーンで“良の姿”が無い事(後のシーンで理由は推測できるけど)
あの時、金山(メイツ星人)が殺された直接の原因は暴徒と化した民衆から良を守ろうとしたからで、警官が撃っちゃったのはその姿を誤認した、或いは実は良の方を撃とうとしたのを金山が庇ったからだった筈、ここを弄ると根本的なテイストが変わっちゃう位のかなり重要な部分なんで、正直“アレ!?”って思いましたが、やはりこの御時世で大の大人が大挙してたった1人の子供を痛めつけるって表現はさすがにアウトなのかな?(分かるんだけどね)

それと、この時民衆が暴徒と化した理由についてもやはり微妙にニュアンスが違ってます。
本作ではサコミズ隊長の言う“無知と恐れの生んだ悲劇”と言った表現になっていて、テッペイ君の言う“イキナリ目の前に宇宙人が現われたらやっぱり恐い”って言うのも確かにその通りなんですが、それだけではあの事件は起っていない筈。
あれは人間の根本に宿る残虐性、差別と偏見の意識、更には日本人特有の“島国根性”が集団心理に火を着けた結果で、あの時伊吹隊長が言った
「日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を持つと、どれだけ残虐窮まりない行為をする事か・・・」
これに集約されてる訳で、本当ならここをぼやかしちゃうとサコミズ隊長の“だからこそ歩み寄らねば”って言葉の説得力が薄くなっちゃうんですよね。
仕方が無い事だったろう・・・・とは思うけど、やはりここは残念。

ただ、この人間の身勝手な差別意識についてはビオの方は言及していて、この地球人側の意識との温度差がそのまま「怪獣使いと少年」と「怪獣使いの遺産の」違いなのかな・・・とも思ったり。

※撃つなリュウ
ウ~ム、やっぱ頭より先に手が出ちゃう種類の人なのかコヤツは・・・(^^;
このシーンでリュウさんの株が大暴落してるらしいですが、あの状況を誤解してミライを援護しようとして思わず撃ったという脚本と演出の意図は分かる・・・けど、結果的にそれがビオの怒りをかって町の破壊に繋がったのだから、やはりここは防衛チームの隊員としては大失策と言わざるを得ません。
何より、この後のシーンでもリュウがそれを反省する描写とかが無いのはやはり頂けない(てか“俺が言えた義理じゃないけど”で済ますなよ!(^^;)
第一、リュウは宇宙人であるミライと直接友情と親交を深める役回りなんだから、あそこでああいう行動をとらせるのは脚本も演出も完全にミスなんじゃないか?

※命の賠償
リュウの一発が呼び水になったとは言え、あれだけで逆上して勝手に交渉決裂言い渡して侵略行為に及んじゃったら、こちらとしても応戦せざるを得ないのは当然の事、サコミズ隊長にとっても苦汁の決断だった筈。
ただ、この侵略行為がメイツ星としての意志とはちょっと思えません。
工場の煙に身体を冒されたり、片腕を撃たれただけであれだけの消耗を見せる辺り、メイツ星人の肉体は多分相当に脆弱で好戦的な民族には思えないし、ビオの父親=金山をしてみても本来は温厚で友好的な種族と思われるので、ビオのあの行為はやはり“私怨”なのでしょう(それこそがこの回の中核な訳ですが)

※宇宙人だってケガをすれば痛い
あの幼稚園の子供達の行動、そして園長先生の言葉は、やはり原典のパン屋のお姉さんのメタファーと見るべき・・・なんでしょう。
あそこで子供を使っちゃうって辺りに若干“あざとさ”と言うか、少し“逃げ”の姿勢を感じちゃったけども、あれが未来に繋がれば本当にいいなとは思います。
そういう意味ではあそこは確かにパン屋のお姉さんに通じる“救い”のシーンではありました。

※町が大変な事になってるんだぞ!
これも原典と本回に共通するキーワードと言うか、象徴する言葉の1つですが、その意味合いや方向性は全く違うものと言えます。
「帰マン」の「怪獣使い・・・」において郷が戦いを拒否しようとしたのは、人間の本性の醜さや身勝手さに対する怒りと絶望が理由で、それでも伊吹隊長のこの言葉に奮い立ったのは、例えそんな人間でも無関係な人々の命や財産が失われる事は許されなかったから。

方や今回のミライ君が戦えなかったのは、地球人とメイツ星人との問題に、宇宙警備隊員であり“地球人の兵器”と認識された自分が介入しないと言う約束に躊躇した、またはそうする事で問題が複雑化する事を恐れたから・・・と言ったところかな?
それに対してリュウがミライに放った同じ言葉は、伊吹隊長のそれとは実は大きく意味が違っています。
先ず、伊吹隊長は郷がウルトラマンである事は知らなかった筈だから、MAT隊員としての使命と同時に“人間としての”使命を果たす様に言ったと思われます。
方やリュウは既にミライの正体を認識してる訳だから、GUYSの隊員であると同時に“ウルトラマンとしての”使命も果たせって意味合いも含んでるんですな。
郷もミライもその心情の性質は全く異なるけれど、その背に乗っ掛かった物はどちらが重いとか言うものではないでしょう。

むしろ気になったのは、ビオが攻撃を開始する前に住民の避難は終わってたって部分で、これだとリュウの言葉が文字通り“町が大変な事”になっててもそこに“人命の危機”は含まれなくなっちゃう事になり、色んな事情があったとしてもこれじゃこの回のテーマそのものが伝わらなくなっちゃうと思うんですが・・・ウ~~ム(^^;

※ゾアムルチ
ムルチは本来地球怪獣な筈で、メイツ星人が連れてくるのは本当はおかしい・・・と、思ってたら公式サイトに設定が載ってました(けど、なんか“後付け”みたいな気が・・・(^^;)
ゾアムルチはビオの怒りと憎しみの感情に同調して暴れると言うのは、オリジナルのムルチから受け継いだように思えるんですが、あの時ムルチに金山の怒りが乗り移ったと言ったのはあくまで郷の主観なんですよね(^^;
ま、ビオが地球人に対する“当てつけ”の意味でやったと考えるのが一番納得できるかな?

※君が目指す遠い星
園長先生がビオに語った良少年との思い出・・・なんですが、良と金山さんの暮らしがちょっと美談すぎるのはまだ許せるとしても、良が円盤を探し続ける理由を変えられちゃったのは正直痛い!
ここを“メイツ星に行って地球人と友達に・・・”なんて言われちゃうと、さすがにちょっと待ってくれと言いたくなる(^^;

良が、おじさんが死んだ後も円盤を探し続けてたのは“地球におさらばがしたかったから”だった筈。
おじさんは死んでない、メイツ星に帰っただけだ・・・だから、公害で今に人間が住めなくなる地球、弱者に対してどこまでも残虐な地球に別れを告げ、メイツ星に行っておじさんと再会する為だった筈で、言わば園長の思い出の中の良の言葉とは全く逆に近い理由だった筈で、これを変えちゃったらあの話の意味するものやニュアンスが根底から変わっちゃう事になる。

とは言え、良が地球におさらばがしたいと言ったのされるのも実は郷の主観だったりするし、あの後円盤を探し続けていく内に、おじさんとの日々を思い出す中で良の心境が変化が生じたと解釈する事は出来る。
ビオの地球人に対する憎悪と行為が、かつて地球人にビオの父である金山に向けられたものと同じであり、恐らく彼の父はそれを望んでいない事を気づかせる為の象徴として良をああ扱うしかなかった・・・と、それは分からなくはない。
園長の理想と子供達の眼差しが、この絶望的な物語に何かしらの光明をもたらせて欲しいと言う願いも確かに伝わってくるし、その部分自体は素直に良かったと思う。

けど、良のあの姿の傷ましさが鮮烈に胸に焼き付いてる身としては、ならばあの時の彼自身の怒りや悲しみ、受けた身体と心の傷みはどうしてくれるんだと、やっぱり思っちゃうんですよね。
他の諸々は時節的にも時代的にも仕方ないとしても、ここはやはり変えて欲しくなかった!
よくない言い方だけど、最も美化しちゃいけないところを美化しちゃった感じです(ひねくれおやぢでスマン(^^;)

因みにこのシーンで見る限りビオは良の事を知らなかった風で、先の金山が撃たれる回想シーンで良の姿が無かったのは、あれがビオの中で思い描いた映像だったからなのでしょう。

※私の憎しみを消しさってくれ!
これも原典と同じく、降りしきる雨の中で展開されるメビウスとゾアムルチの戦い。
結果的にタイプチェンジもせず、カラータイマーが点滅する前にノーマルのメビュームシュートで倒せたところを見れば、多分ゾアムルチ自体はたいして強い怪獣ではなかったと思われます。

にも拘わらずメビウスが結構苦戦してたのは何故か?

頭では分かっていても憎しみの感情は決して消しさる事は出来ない・・・それはビオの感情であると同時に、原典と本回を通じたこのエピソード全体を貫く骨子とも言える部分でもあります。
ゾアムルチが暴れ続けるのはそんなビオの憎しみの感情に反応してるからで、それが分かってるからこそメビウスも本気の攻撃が出来なかった。

そんなビオ自身が、自らの憎しみの象徴であるゾアムルチの殲滅を願ったからこそ、それを受けたメビウスはゾアムルチを倒す事が出来た・・・

原典のムルチとの戦いはシーンとしては虚しい空気が漂ってはいたものの、通例のウルトラマン対怪獣の戦いの枠を越えるものではなかったけど、この回のそれはその戦いに“意味”を持たす事が出来たと言う点では原典を越えたと言っていいんじゃないでしょうか?

※握手はまだ先に・・・
私が「怪獣使いと少年」の続編をやると聞いて一番恐れたのは、あの話が“上っ面な綺麗事”で誤魔化された様な物を作られる事でした。
あの話は、当時から現在の時間にも連綿と続く様々な社会情勢や人間の醜い部分を、そこから逃げずに直球で描いていた上原正三と言う脚本家の一種の怨念の様な物が具現化したところ、そしてあれがデビュー作だった東条昭平と言う監督の演出の暴走ぶりとが重なり、あの時代だからこそ作り得た作品で、それを当時以上に制約が多い今の時代に、幾ら直木賞作家でウルトラのファンとは言え全くの畑違いの人の手による脚本で作られる事に不安を抱かない訳にはいきませんでした。

正直、私が危惧した方向に流れてる部分は否めないところはあるのですが、リュウが差し出した握手の手にビオが応えなかった事でギリギリ綺麗事に逃げずに済んだ部分はいいと思います。
実際あの時代から現代は何も変わってはいないから、今はその手は握れない。
その上で、あの子供達が大きくなった時に本当にその手を握りあえる日は来るのか・・・と、ここに考える余地を残したところは、この回最も評価していい部分でしょう。

※何処へ・・・
結局、最後まで良があの後どうなったかは明確には明かされませんでした。

実のところ、私はビオこそが本当は良その人だったら、一番この話は無理なく成立するのになって最初は思ってました。
円盤を見つけた良は念願叶ってメイツ星に渡り、地球人に嫌気がさしてた彼は自らメイツ星人の身体となり、そしておじさんの仇をとりにやってくる。
それならムルチを連れて来た理由も説明がつくし、もう一度地球人を信じたい気持と憎しみとの葛藤もより説得力が増す・・・

けども、それだと本当に救いの無い話になり兼ねないし、むしろそれこそ原典のスタッフの意図した物に反する事にもなるのかも知れません。
そう考えれば、良の行方と言うのはあのまま永遠の謎にしておくのが最善なのかも知れませんね。

やれやれ、このブログ始めて以来の最長の感想になってしまいましたね(^^;
まだ色々と書き足りない事や触れれなかった物は一杯あります(例えば“あの曲”を思わせるBGMとか、斉藤とも子さんとか)が、それはまた機会があればと言う事で、今回はこのへんにしておきます。

DVD帰ってきたウルトラマン Vol.9
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この記事へのコメント

2006年11月16日 21:26
 現在のアジア、兵器、「アレ」や「コレ」・・そうか、そっちか! ・・・そこまで考え及びませんでしたが、それは、今は軽々しく論じられませんよね。 さすが同世代、読みながら何度も唸って膝を打ちました。
 あのBGMをそのまま使うのは反則ですよ。理性より感情で見てしまうもの。
2006年11月17日 11:46
yasさま、レビューお疲れ様でした。
もうひたすらうんうんって頷き通しのカタルシス状態です。
メイツ星人の意図とかリュウの扱いとか色々と納得いかなかった部分が多いんですが、中でもやっぱり一番痛かったのは良少年の扱いです。これだけは「旧作マンせー」と言われようがなんだろうが譲れない気がします。
あとは、よく言われる事ですがメビウスってGUYS周辺以外のキャラクターを出すのは禁じ手なのかと思うくらい世界が狭いです。あの園長がコノミ関連でなければいけない必要がどうしてもあったとは思いづらいんですが。(汗)
それと、どうせ「宇宙人とだって分かり合える」的なストーリーだったのなら、できればミライと仲間達の絆がもっと見えるようなお話にして欲しかったかなあと思います…って、もしかしてリュウが「撃っちゃう」ことが絆だったのか?メビウス弱いから?(笑
2006年11月17日 20:49
>tomoko様
隠しネタはあくまで隠しネタであってこそ意味がある訳で、それがメインになっちゃうと逆に本質が見えなくなっちゃいますからね。
ただ、それを知っている事で見方、考え方の“幅”が広がるのも事実なんで、知っておいて損はないかと。

あのBGMには少し触れてみたかったんですが、また長くなるんで機会があればと言う事で(^^;
2006年11月17日 20:49
>つ様
細々した部分はある程度仕方のない部分はあると思いますが、良君の扱いはやはり一言も二言も言いたいですよね(^^;
もし仮にあの後良君の心境に変化があったのなら、それこそその過程をキッチリと描かなきゃ伝わらないと思いますよね。

仰る「メビウス」の問題点は私も感じてはいますが、それ言っちゃうと特撮って結構みんな町内レベルでやってたりするからなぁ(^^;
園長とコノミちゃんに関しては、コノミちゃんをもっと話に絡めても良かった筈で、ここは明らかに構成ミスでしょうね。

あと、メビウスがこれから踏み入れようとする領域と今回のテーマは上手く絡めれば上手くすれば傑作になった可能性はあると思います。
結局「怪獣使い・・・」の続編としても、「メビウス」の1エピソードとしても、どちらにも徹しきれてなかったのが今回の“うやむやな気持”に繋がってるんじゃないかと、私は考えてます。

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  • ウルトラマンメビウス第32話+α

    Excerpt:  今日のウルトラマンメビウス,夕食の準備をしているK子さんの代わりに三女の面倒を見ていたので,ゆっくりと見ることができませんでした。そういうわけで,詳しいことは書けません。ごめんなさい。 Weblog: よろずな独り言 racked: 2006-11-17 22:22